日本人のカメラ好きは世界でも有名です。どこに行くにもカメラを持って行って、あたりかまわずパチリ。日本人と大の仲良しのこのカメラ。いったいいつの時代に登場したものなのでしょうか。

世界で初めてカメラが市販されたのは1839年。ジルー・ダゲレオタイプと呼ばれるもので、フランスで製造されました。当時のカメラ先進国はドイツ、フランス、イギリス、アメリカです。

ジルー・ダゲレオタイプ
チェリー手提げ暗函

日本のカメラ製造の幕開けは1903年になります。小西六本店(現コニカミノルタ)が箱型のチェリー手提げ暗函を発売。

続いて1911年にはたたみこみ型ミニマム・アイデアを発売しました。当時、すでに外国製のカメラは輸入されていましたが、価格は非常に高く、庶民には高嶺の花でした。そこへ安価な国産カメラが登場したものだから、その人気はまたたくまに広がりました。

たたみこみ型ミニマム・アイデア
パーレット

大正末期から昭和初期にかけて一世を風靡した国産カメラにパーレットがあります。たたみこみ型の小型カメラで、これも小西六本店が製造しました。発売は1925年、当時の価格で17円でした。パーレットは発売以来、少しずつ改良を加えつつ、なんと20年以上も市場で人気を誇りました。まさに日本のベストセラー・カメラの草分けと言えます。

日本でカメラが一般人の間に急速に広まったのは、1935年ごろのことです。これは軍需産業の隆盛により景気が上向きになり、庶民の暮らしにも余裕が出てきたためです。そして、それに呼応するように、この時期、国産のカメラが次々と発売されました。千代田光学精工(現コニカミノルタ)のミノルタフレックス Ⅰ、小西六本店のセミパール、写真家間宮精一氏が考案したマミヤシックスなどがその代表です。

ミノルタフレックス Ⅰ セミパール マミヤシックス

このカメラ・ブームは第二次世界大戦で一時中断しますが、戦後の復興は思ったより早かったのです。戦後まもなく売り出されたのは、豆カメラと呼ばれる小型カメラです。1946年に三和商会から出たマイクロⅡ型がその先駆けと言われます。

ただし、この豆カメラ、性能のほうはイマイチで、おもちゃに毛の生えた程度のものでしたが、進駐軍兵士のおみやげ用にこぞって買い求めました。その人気に触発されて、各社が競って豆カメラを発売しました。1949年~1950年は、この豆カメラの最盛期で、なんと30種類以上もが市場に出回っていたといいま す。

マイクロⅡ型
ライカA型

豆カメラの変更として、時計や双眼鏡、トランジスタ・ラジオなどと合体したカメラも生まれました。日本のカメラは戦前戦後を通じて、ドイツのカメラをお手本にしてきました。とくに、キング・オブ・カメラといわれるライカは、日本のカメラ・メーカーの格好のコピーの的でした。初期のライカはA型と言われ、オスカー・バルナックが開発したためバルナック型ライカと言われます。これは1925年に発売されて以来、改良に改良を重ね、1940年代には究極の精密小型カメラとして世界的に知られていました。したがって、日本のカメラ・メーカーもこのライカA型に少しでも近づこうと試行錯誤していたというわけです。

ところが、1954年に、ライカM3という新型カメラが発表されました。これは従来のA型とは全く異なるもので、距離計一体型ファインダーやレバー巻き上げなど、新機能・新機構が搭載されていました。その素晴らしい性能にカメラ・ファンは魅せられ、ライカM3の人気は急上昇。その反動でライカA型の人気は急落しました。

ここで慌てたのは日本のメーカーです。今までライカA型を目標に製品を作ってきたのに、突然それよりも数段高性能のライカM3が登場したのだから、その驚きはもっともなことと言えるでしょう。特に中小メーカーはその対応に苦慮しました。ライカM3を目標にするも、それに似た製品を作るには資金力も技術力も不足しています。そして、その結果、いくつかのメーカーが倒産の憂き目にあいました。

ライカM3
アサヒフレックスⅠ

一方、キヤノンやニコン、ミノルタの大手メーカーはどのように対応していたかというと、彼らはライカM3を超える機種を作ることは並大抵ではないと判断。そこで、従来の35ミリ距離計カメラから、時代の主力になるとにらんだ35ミリ一眼レフカメラへと、その開発の矛先をシフトさせていったのです。

国産初の35ミリ一眼レフカメラが発売されたのは1952年。旭光学が開発し、服部時計店が出したアサヒフレックスⅠがそれです。その後、衝撃的なライカM3のデビューを経て、昭和30年代には国産の35ミリ一眼レフカメラが次々と発売されました。

 

この国産一眼レフカメラは、次々と技術改良がなされ、性能と使いやすさを増していきました。その結果、日本の大手メーカーが予想した通り、一眼レフカメラは距離計カメラからその主役の座を奪い取ることとなりました。そして、カメラ産業における主役もドイツから日本へ移ったのです。

出典:開運!なんでも鑑定団1(1995年)角川書店